玉川電気鉄道が二子玉川園を、小田原急行鉄道が向ヶ丘遊園を、といったように私鉄各社は自社線のオフピーク時輸送を狙って沿線に遊園地を経営していました。京成とて例外ではなく、谷津の海岸地帯に京成遊園地を開業させているのですが、開業当時最寄りの谷津海岸駅から遊園地に向かう道路はなく、アクセスは全くもって良くありませんでした。そこで、開園から2年後の1927年、ひとつ手前の京成花輪駅(現・船橋競馬場駅)から遊園地そばの谷津遊園地駅まで支線を出したのです。
ところが、ほどなくして谷津海岸駅からのアクセス道路が整備され、谷津遊園地駅はその意味を失いました。なんと開業3年にして谷津遊園地駅は休止されてしまったのです。あまりの短命っぷりに谷津遊園地駅への支線は歴代の地形図にも掲載されず、その痕跡をたどるのは極めて困難となっています。
(探索日:2018年1月5日)
船橋競馬場駅前にはららぽーと行きの無料送迎バスの転回場があり、利用したことのある方も多いと思いますが、実は元々船橋競馬場駅はこのあたりにありました。待避設備を設けるにあたって若干移設したのです。
ここから東側を望むと国道14号がやや左にカーブしています。京成花輪駅(当時)を出た谷津支線はすぐに国道を横切っていたらしいのですが、これはなるべく国道と直交させたいという思いがあったようです。
道路を渡ってカーブの先にやってきました。直交というには無理があるような気がしますが、後ろを振り返ってみると…
なんか怪しいぞ…。
国道と平行でないフェンスを発見しました。角度から見ても谷津支線の痕跡とみて間違いないでしょう。
振り返ってみてもやはり不自然な角度です。
国道に戻って1,2歩進むとさらに明瞭な敷地界が。先ほどのフェンスと同じ角度のようですし、この敷地界とフェンスの間が軌道敷なのでしょう。
軌道跡から花輪駅方向を眺めてみます。駅の位置は変わってしまいましたが、鉄路がここを通っていた姿は想像できます。
先ほどのフェンスを奥の路地から振り返ってみます。うぅ…堪らん…。
道の反対側はDVD鑑賞店になっていますが、それでもその敷地には不自然さを感じます。
国道側に戻ってみれば店舗の角度が国道と平行でないことに気付かされます。ここではちょうど店舗が軌道跡上にあるのでしょう。
DVD鑑賞店から数店舗はそのまま軌道跡上に建てられており、軌道の雰囲気をよく感じられます。
花輪駅のほうから確認してみると、建物が綺麗にラインを形成しているのがはっきりと見て取れます。
その先には京成バス花輪営業所の跡地を転用したホームセンターが。建物と国道との角度にそれらしさを感じますね。
幻の路線でも丹念に調べてみると思いのほか痕跡が残っているものです。ここから先では京葉道路花輪インターに飲み込まれて大幅に区画が変更されてしまっているのですが、はたして痕跡は見つけられるのでしょうか…?
後編につづく…?
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