橋台を後にして先に進みます。橋梁区間だとはいえ橋脚はいくつかあったはずですが、それらはすべて失われているようです。
ん?なんだあの盛り上がり?
レンガ積みの橋脚らしきものを発見しました。
もっとも、後日調べてみると鹿島川の流路は変更されているとのことで、これが橋脚などではなく佐倉側の橋台であった可能性は高いと思われます。事実、この先の路盤は築堤を切り崩したような丘陵上になっており、橋脚・橋台の類は一切確認できませんでした。
軌道跡は謎の起伏を残しつつ鹿島側の堤防に突き当たります。当然ながら橋梁は残っていないので県道へ迂回。
鹿島川を渡る橋は交通量が多いにもかかわらず歩道なしでした。まあ鹿島川は四街道市と佐倉市の境界ですし、橋上を徒歩で通過する必要のある人はそんなにいないのでしょうけれど…。
なお、路盤跡の右手には正体不明の人道橋(水路橋がベース?)がありました。訪問の際はこちらをお使いになるのも良いかもしれません。
橋から少し行くと寺崎の集落が見えてきます。
突き当たりまで行くと軌道跡と交差。一旦、鹿島川のほとりまで戻ります。
鹿島川畔までやってきました。この辺りは軽トラの通る道として”開削”されたらしく、築堤の面影はありません。
しばらく進むと急にキツい坂になり、築堤が姿を現しました。どうやら、旧線の左右に広がる田畑を自由に行き来できるように築堤を切り崩したようです。
寺崎の集落に入ると路盤は民家に飲み込まれていました。
民家の手前には用水路が流れており、線路はここを越えていたはずです(左手に橋台のようなものが見える…?)
旧線はこの先どうなってしまうのでしょうか…?
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