前回、民家の中に消えていった旧線。この先路盤がふたたび現れてくれますように…。
寺崎の集落を抜けて県道上へ戻ると、急傾斜崩壊危険区域の看板がありました。鬼怒川でも同様の看板を見かけましたが、これこそが線路を付け替えた原因かもしれません。
寺崎の集落で民家に飲み込まれた路盤は県道傍に再登場。が、すぐさま一般住宅に吸収されていきました。未だ分譲中の土地も散見されたことから、この辺りの開発はごく最近ではないかと思われます。
県道から分岐する謎の道。路盤を確認できるのではと思い登ってみると…
路盤跡として遜色ないスペースが現れました。登ってきた道はこの水路を管理するためのものでしょうか?それにしてはきちんと舗装されていて立派すぎたような気がするのですが…。
現役時代は橋が架かっていたのでしょうか?左手には明らかに下の住宅のものと思われる藤棚があったため、これ以上進むことはしませんでした。
佐倉側に目をやると、スペースはほとんどなくなっていました。やはり、路盤はこの台地上ではなく下の民家群にあったのでしょう。ただ、そうなると今登ってきた道はいつ何の目的で建設されたのか気になるところです。
水路道(?)の終点から県道に復帰し、さらに前進。佐倉市街が見えてきたと思ったところでコンクリート橋が現れました。さすがにこれは路盤跡と考えて良いでしょう。
藪が酷すぎてさすがに近付く気になれなかったので、佐倉側へと目を向けます。
いかにも、というところにラーメン屋さんが建っていました。開店前にもかかわらず10人弱並んでいるとはなかなかの人気店のようです。
再開発中ではありますが路盤らしさは全開。ただ、こうなると再開発前は今以上にそれらしさを醸し出していたはずであり、その頃に訪問しておけば…という気持ちが募っていきます。
県道上には真新しいヘキサが設置されていたのですが、なんとも可愛らしいサイズでした。
その先で県道は二手に分岐。うち、旧道と思しき右斜め前方に分かれていく道は、ちょうど旧線に沿うルートを取っていそうだったので、そちらに入っていきます。
ふと後ろを振り返ると、ちょうど旧線がカーブしているところが目に入りました。やはり旧線は県道上で良さそうです。(それにしてもゴミ置場開設していないってどれだけ新しいんでしょうか、この街…)
というわけで先へと進みます。って…
路盤跡はどこ!?
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