九州最後の炭鉱【中編】

当記事では池島炭鉱さるくの模様をなるべく詳細にレポートしていきます。初めて訪問した際のワクワク感を楽しみたい方はご注意ください。

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今回も池島炭鉱の探索を行っていきます(ただのツアー見学です)。


本坑をさらに進みます。

ここにもロードカッターが。

お、動いた。

池島炭鉱では落盤の際の被害軽減を目的に、先進坑道をコの字状に掘削し、ロードカッターで坑道奥から掘り進めていく方法を採用していました。このロードカッターは出力300kW、30分で一列掘り終わってしまうほどの威力でした。

そうそう、落盤で思い出したのですが、池島炭鉱の海面下坑道はすべて海底から200メートル以上深くに掘られています。これは、落盤事故を防止するため法律で定められていたことなのですが、制定のきっかけになったのは奇しくも池島のお隣、松島炭鉱での落盤事故でした。同炭鉱の浅さは海上を通行する船の汽笛が坑道内に聞こえるほどだったそうで、どうしてその浅さで大丈夫だと思ったのか問い詰めたくなります。あ、池島では危険予知活動を実施していますのでご安心ください。1983年からですけれども…。

その先には大きな炭鉱石が。もっとも、これは原炭と呼ばれているもので、実際我々が目にするまでにはベルトコンベアなどで選炭工場まで運んでバームシグ水選槽でボタや低カロリー炭を選別して、という長い行程が待っています。
ちなみにこの原炭、以前はもっと大きく、訪問者に削った破片を持ち帰ってもらっていたそうなのですが、ドンドン小さくなってしまったため今では取りやめているとのこと。もう少し早く訪れておけばよかった…。

原炭の隣には昔ながらの削岩機があり、掘削体験もできます。

こちらの坑道も終点が見えてきました。

エアーマント。航空機で言うところの酸素ボンベのようなもので、緊急時には上からかぶって有毒ガスの吸入を防ぎます。

技術支援の名残で、坑内で使う合図の紹介プレートも残されています。現地語の訳の下にカタカナで読みが書いてあるのがかわいい。

安全週間(?)で地元の小学生たちが書いたものだそうです。ところどころに研修生のお子さんの名前が見えますね。

終点に見えた壁には謎の扉が。開けてみて、とガイドさんに言われたので開けてみると…。

光だ!!

写真では伝わりにくいかもしれませんが、ここは斜坑となっていて地上まで通じています。傾斜がキツくて転びそうです。
この坑道は池島炭鉱が採掘されるとなった時に最初に掘られた坑道で、いわば池島炭鉱はじまりの地なのだそう。ちなみに、ガイドさんが言うには、千葉県のとある高校(工業高校だったような気がするとおっしゃっていました)が修学旅行で訪れた際にはこの斜坑からトロッコで坑内に入ってきたとのことです。うらやましい…。

なにか未成感を漂わせる坑道の先には緊急時の避難部屋が。(この写真、本来の支保工のようすがよくわかりますね)

ドイツ製が多いのが印象的。日本製はダメだ、ということです笑

その奥には昔ながらの坑道が再現されていました。こんな廃隧道見てみたい…(けど実際怖そう…)

行きに乗ったトロッコが見えてきました。回送したのではなく、復路乗車地点に移動させていたのですね。

坑道から出てきました。
中にトロッコでも残されてるんですかね?

池島開発総合センターに戻り、ヘルメットとリュックサックを返却してツアーは終了です。


当時の坑道にトロッコで入れるという話を聞いてハードルが上がっていたからか、現地ではこれだけで終わりなのか、海底坑道へは行けないのか、という思いを持ちました。ですが、実際に使われていた坑道に入れるのは事実。軍艦島こと端島とは雲泥の差でしょう。
ただ、ガイドさんが昔はもう少し奥まで入ってもらっていたと言っていたのを思い出すと、もっと早く訪れておけば…という後悔がこみ上げてきます。今後10年20年と経ったときに現在のスタイルを維持できているかはわかりません。何事においてもそうなのですが、行ける限り早めに訪れておくことが肝心ですね。

池島探訪はまだ終わりません

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