京葉臨海鉄道食品南線

1950年より京浜工業地帯への一極集中を防ぐため開発が始まった京葉工業地域。他の工業地域と同様に重量物を運搬する貨物鉄道が計画され、国鉄や沿線企業が出資する京葉臨海鉄道が設立されました。1963年、蘇我〜浜五井間が開業したのを皮切りに、浜五井〜椎津、椎津〜袖ヶ浦、と順次路線を延ばしてきました。1975年には千葉貨物ターミナルから分岐する食品北線、食品南線を開業。京葉工業地域全体に展開していくようになりました。
しかし、時はすでに自動車の時代。国鉄のストライキによるゴタゴタもあって食品北線・食品南線はトラック輸送に置き換えられ、1993年に廃止されてしまったのです。

千葉みなとから少し東京方面へ向かうと、急に道が曲がり線路脇に広いスペースが生まれはじめます。ここが千葉貨物ターミナル駅の端です。
そして、反対に目をやってみれば線路1本分の不自然なスペースと「京葉臨海鉄道」と書かれた看板が見えます。京葉臨海鉄道は1976年に千葉貨物ターミナル〜蘇我の高架下を借り受け、倉庫事業をしているのです。無論、このスペースは高架下というより食品南線の廃線跡と言ったほうがしっくりくるのですが。

この地区、そして廃線を体現するような建物です。

千葉食品コンビナートの建物の角を曲がっていきます。

一見するとなんの変哲もない丁字路ですが、よく見ると右奥の塀が道路と斜めに立てられています。自動車が曲がるスペースを確保するために45°の角度をつけて塀を立てることはよくありますが、ここは45°というよりかは30°くらいに見えます。

後ろを振り返ってみると、今度はフェンスで囲まれた土地。

中を覗いてみると植え込みが敷地内で急カーブを描いているように見えます。このカーブは航空写真で見ると明瞭で、これこそが食品南線の廃線跡ではないかと思います。
さらに言えば、ひとつ上の写真でフェンスに不自然な切れ目が見える気がするのですが…どうでしょうか?

道界がこんなに近接して設置されることってあるのでしょうか…?

丁字路から少し進むと、道はわりかし大きな道路に突き当たります。が、目の前には不自然な緑地。往年は京葉臨海の線路がここを直進していたものと思われます。

唯一の目立った遺構である直角カーブは千葉食品コンビナートの敷地内になってしまっていて立ち入りが不可能なだけに物足りなさを感じてしまいそうな食品南線ですが、これは遺構では?と推理する楽しさは十二分に味わえます。20年弱で廃止されてしまった悲運の路線を辿りにきてみてはいかがでしょうか?

コメント

  1. こーもとなつひこ より:

    京葉臨海工業地帯は京浜工業地帯を「代替」するものではなく、むしろその拡張先として、失業者対策といった千葉県の思惑も重なり整備・拡張されたものです。

    • ばか者 より:

      ご指摘ありがとうございます。
      誤解を生みやすい表現でしたので訂正させていただきました。

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