三島氏執筆部分でもうちょっとだけお伝えしたいことをまとめたいと思います(リレー記事の意味はどこへやら…)。
みなさん、【その1】と【その2】で、地図に大きな違いが生まれていたことにお気づきでしょうか?
そう、谷の途中からルートが変わっているのです。そしてそれは皆様お察しの通り、我々が現在地を特定できなかったからです。
ヨッキさんの尾根越えルートは【その1】 最後の地図と同様のルートで、こちらのほうがより隧道に近いところにたどり着くので、当初は我々もここを目指していました。が、谷を登る最中、私が誤って「なるべく左の斜面を登ってくれ」と指示してしまったために、本来のルートとは全然違う尾根を越えることとなってしまいました。
いちおう、尾根到達時に現在地を把握するためにいろいろ探してはみましたが現在地の断定には至らず、しかも到着した尾根が目的の尾根と似通った景色を見せていた(南側に丘陵部がある、北側にやや低い箇所がある、など)ため、すっかり勘違いしてしまいました。結果として大日本麦酒の瓶を完全な姿で発見できたので不幸中の幸いになりましたが、そうでなければただただロスでした(到着した尾根が目的の尾根とほぼ同じ標高だったのがせめてもの救いでしょうか)。
小坪井沢到着時に上流・下流を確認して、ここはこの谷最大の蛇行部ではないかとアタリをつけていましたが、断定に至ったのは谷を遡上して切り通しを発見した時です。
今回はより臨場感を感じてもらおうと、【その1】 では間違ったルート(当初通る予定だったルート)を示しましたが、(【その2】の最初に現在地推定のくだりがなかったことも併せ)わかりづらい展開になってしまい申し訳ありません。
また【その4】の最後にあった隧道内も桟橋をかけていたという仮説に関して軽くご説明しておきます。
私としても路盤が残っているとは考えていませんし、両坑口が低くなっているのも長年の堆積によるものだと思います(彼はどうも人の話を盛るところがあります。困ったものですね…)。
ですが、【その4】にあったとおり、隧道内を歩行している際に例の橋脚孔らしきものを見つけました。隧道は谷と谷を結ぶものなので隧道を林鉄と水路が共有していることは考えられません。同様に、発見した孔が水路の堰に使われるものだったわけでもありません。となると、隧道内の孔は林鉄の桟橋に使われたとしか考えられないのです(ほかに用法がありましたらコメント願います)。
ただ、いまいち記憶がはっきりしておらず、今考えると洞内の凸凹によって生じた影を見違えただけかもしれません。この点は再調査しなければと思います。
コメント