白いかもめに乗る

長崎新幹線問題を考えるうえで現状の博多・長崎間輸送は見ておかなければマズイと思い、特急かもめに乗車してきました。
かもめ号は博多と長崎を結ぶ特急で、車体の色から787系使用列車は“黒いかもめ”、885系使用列車は“白いかもめ”と呼ばれています。“黒いかもめ”はもともと特急つばめなどに使用されていた車両で、DXグリーン、グリーン個室など設備も充実している一方、“白いかもめ”は振り子機能を搭載することで高速性を追求。“黒いかもめ”が2時間強かかる博多・長崎間を2時間弱で結んでいます。日中はおおむね“白いかもめ”が1時間ごとに運転されますが、多客期には“白いかもめ”の間に“黒いかもめ”が1時間ごとに運転され、合わせて毎時2本を確保します。

長崎駅。新幹線開業とともに在来線を高架化し、海側に移設するためこの駅舎も見納め…。

さて本日乗車するのはかもめ20号。定期列車で、もちろん白いかもめです。

どこかで、885系に付いていたエンブレムが外されたという噂を耳にしましたが、外されていなくてホッとしました。

なかなかインパクトのある内装です。
座席は本革張り。グリーン車だけでなく普通車も、というのがスゴイ!

ドア付近に展望スペースがあったので、しばらくここで車窓を眺めることにしました。

ほどなくして発車。この時点では2号車には20人ほどしか乗っていませんが、放送によると指定席は全席満席とのこと。どこで乗ってくるのでしょうか?

次の浦上は長崎市街の北の中心地で、原爆資料館などにも近いため利用が多いかと思いましたが、意外にも2号車の乗車はゼロ。改札から遠く、屋根もないからでしょうか?長崎駅は1号車側に改札があるので、長崎駅乗車ぶんは1号車よりの号車、浦上駅乗車ぶんは6号車よりの号車、と分けているのかもしれません。

浦上を出るとグングン下っていき、トンネルへ進入。この区間はずっと単線なので、列車を増発できるようにトンネル内に信号所が設けられています(だったら最初から複線断面で造れよ)。

トンネルを抜けるとすぐに現川駅を通過。単線区間なのにかなりの高速運転です。振り子車両の宿命で多少の揺れはありますが、軌道状態も良く本当に快適。381系のように「げろしお」なんて揶揄されることはまずないでしょう。

諫早駅手前ではなにやら工事が。場所柄からして新幹線でしょうか。

喜々津駅から複線になって諫早駅に到着。7人乗車してきました。
さて、ここからは長崎本線最大のネックである単線&急カーブ区間になりますが、どんな光景が待ち受けているのでしょうか?とりあえず疲れたので本革張りの座席に戻ります(笑)

諫早駅を出てすぐ気付きました。あ、スピードが落ちたな、と。
いちおう最高時速は長崎~諫早間に匹敵する120キロのようですが、線路規格が良くないのか100キロも出ていないように感じます。

諫早湾の堤防を遠望し、有明海沿いに入っていくと列車はさらに減速。ひどいところだと70キロもないようなところまで…まあさっきまで走ってたところが正面に見えるほどの急カーブだから仕方ないのですが…。

先ほどまで対岸を走っていました

と、ただでさえゆっくりだった列車はどんどんスピードを落とし、多良駅でついに停車してしまいました!

正体は下りかもめとの列車交換。実は、湯江駅でも787系かもめと交換しており、単線区間での対向列車待ちはややイラッとくるところです。(まあ、Kis-My-Ft2ラッピング列車を見られて良かった、というところはあるのですが…)

肥前浜を過ぎると海沿いから離れ、平野部に突入。これで速度制限からも解放されそうです。
肥前鹿島ではまたもや787系かもめと交換。なかなか頻繁だな、と思いますが、冷静に考えれば毎時2本運行されている時点で15分に一回は交換が必要なんですよね…。なお、ここでは1人乗車しました。

787系かもめが通過してしまう肥前山口では2人ほど下車の4人乗車

肥前山口からは複線となり、先ほどまでとは打って変わってスムーズな走行。あ、睡魔が…(長崎〜諫早〜肥前鹿島がメイン調査区間だったので許してください…)。

佐賀駅のホームは想像以上に都会的(失礼)。ここでは4人乗車しました。やはり長崎乗車組と佐賀乗車組で割り当てがありそうです。

ここで、新鳥栖駅の在来線〜新幹線アプローチ線がどのような形になるのか見ようとデッキに行ってみたのですが、例のカウンター(↓)には先客が!まあ満席って言ってましたしね…。自由席はどうなっているのやら。

結局アプローチ線の様子は見えず、新鳥栖に到着。新幹線への乗換客が3人ほど降りていきました。彼らは大阪方面に向かうのか鹿児島方面に向かうのか気になります。

鳥栖では乗降がなく(すぐ後を走る快速に乗客が流れたのでしょう)、列車は鹿児島本線に。と、弥生が丘を500メートルほど過ぎたところで緊急停止。「信号のため」と放送がありましたが、3-4分も停まっていたのでもうちょっと詳しい話を聞きたかったところ…。

再び走り出した列車は遅れを取り戻すためにもグングンスピードアップ。これが「幹線」なのだな、という走りを満喫し、博多駅に到着しました。

考察などは次回に。

コメント

  1. 空想委員 より:

    長崎本線は大昔に特急「あかつき」で通ったきりな私、かなり興味深く拝見しました。まあなんというか、典型的な「国鉄地方幹線」ですよね……。

    現川経由の新線を「複線で作れよ」というのは確かにな、と思いました。そこでこの区間がいつの開業だったか調べてみましたが、1972年10月なのですね……これ、全幹法で九州新幹線長崎ルートの基本計画が決定する2か月前です。単線で新線を作っておきながら、全く同じ頃に東京では「ここに新幹線を作ろう」とか言っていたというのは、もはや怒りを通り越してあきれすら覚えます。もちろんどちらも何らかの予測に従った決定だったのでしょうが、もう少しマシな交通政策をこの頃やっててくれれば、今頃どれだけ楽だっただろうかと思えて仕方ありません。

    最後になりましたが、武雄温泉駅の資料、ありがとうございます。あれだと下り方面の接続は厳しそうですね。これも何とかならないものか……。

  2. ばか者 より:

    新線開業の時期など考えもせずに呟いていましたが、まさか新幹線ルート決定の2ヶ月前だったとは…
    ルートが決定したからといってあの区間が複線で建設されたとは言い切れませんが、青函トンネルのように将来的な新幹線建設も見据えて計画されていたかもしれない、と考えるとつくづく惜しいですね…。

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