730

730(ナナサンマル)。沖縄の歴史に詳しい方はこの数字を見ただけで、あぁあれね、となるのではないでしょうか?

太平洋戦争後、沖縄がアメリカの占領下に置かれ右側通行となっていたことは有名な話ですが、実は1972年の沖縄返還後もしばらくの間は右側通行が維持されていました。しかし、ジュネーブ交通条約では一国一交通制度を定めており、沖縄が右側通行のままなのは条約違反。そこで、日本復帰6年目となる1978年7月30日をもって県内全域で左側通行に改めることとなったのです。
ここでひとつ問題が発生します。自家用車は左ハンドル車でもなんとかなりますが、バスは右ハンドル左乗降扉車にしないと、左側通行できません。道路が右側通行から左側通行に改められる8時間の間にすべての車両を右ハンドル車に変更しなければならなかったのです。
当時、沖縄県全体で運行されていたバスは1295台。沖縄本島だけでも1207台に及びます。これだけの車両を一社で製造するのは不可能なので、各社に割り当てがなされました。琉球バスは日産ディーゼル車と日野車、沖縄バスは三菱ふそう車、那覇バスはいすゞ車、東陽バスは日野車。これら左側通行化に伴って導入された車両は交通ルールが変更された日付をとって「ナナサンマル」と呼ばれ、各社の主力車両として活躍してきたのです。
その後、関東のバス会社から中古車が入ってくるなどして、ナナサンマル車は急激に置き換えられていきましたが、今でも保存目的で東陽バスと沖縄バスに1台ずつ残存しています。


まずは東陽バス最大の運行拠点である馬天営業所へ。

車庫内は日野車で埋め尽くされています。

いた…。

ナナサンマル車は車庫の奥の給油所のそばにぽつんと佇んでいました。運転士に事情を話すと写真を撮っても良いとのこと。東陽バスさん大好き。

日野のエンブレム。めちゃかっこいいです…。
側面にはリベットのブツブツが所狭しと並んでいます。これがモノコックバスたる証です。

朝陽に照り輝くナナサンマル。運転士によって各種点検・整備が行われているようです。

馬天営業所のバス乗り場。古臭いターミナルの趣で私好みです。

そのまま10分ほど待っているとブロロロと音を立ててナナサンマル車が乗り場へやってきました。いよいよ発車です。

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