(探索日:2017/12/20)
対岸の路盤を発見した我々。さっそく川を渡って路盤に上がってみます。
<11:15>
路盤に到達しました。少し戻って林道との合流の具合を確認します。
さすがに橋の痕跡はありませんが…
振り返ると素晴らしい眺めが待っていました。桟橋だらけの小坪井林鉄でこんなにしっかりした路盤を見られるとは…。
路盤上に木が生えてしまっていますが、田代川の路線は戦中の廃止とのことなので整合性は取れます。
<11:20>
は、橋がない!!
って当たり前か。川の蛇行でこちら岸が浸食されてしまっているため、対岸に移るようです。
それを証拠に、路盤は蛇行が終わるとすぐに右岸に戻ります。
<11:30>
今度の路盤は杉林か…。花粉症にはキツそうです。
振り返ると対岸の路盤とのつながりが明瞭に見てとれました。
<11:35>
え、また対岸いくんですか…
ただ川を渡っているばかりではつまらないと、三島氏が川のせせらぎを撮影していました。この清らかな流れだけでも行く価値があるというのに、林鉄の路盤まで付いてくるとは恐るべし…。
<11:39>
振り返ると、こちらも橋があった感をよく醸し出していました。
<11:43>
おなじみの架橋です。
急に現れる地層美…。世間は農溝の滝に沸いていますが、そのすぐ近くにそれ以上の絶景が眠っていることをどれだけの人が知っていることでしょうか。
と、ここで一枚の看板を発見。このあたりは民有林だったはずですが、その所有者が三井グループだったとは驚きです。
<11:50>
ここでまた路盤が消失。いつもの通り対岸を見てみると、やはりそれらしき平場があります。
石積みが人工的なものに見えるのは気のせいでしょうか…?
上部に林道があるためかゴミがけっこう散乱しています。このあたりは現代ゴミがほとんと落ちていない小坪井沢と違いますね。
瓶だ!
周りには割れたものも含め3~4本同じものが転がっていたのですが、銘柄などはよくわかりませんでした。
ひときわ大きな支谷の入り口までやってきました。
支谷を覗くと田代林道の赤い橋が見えます。
ここでも路盤はカーブの内側にしっかり刻まれています。
すぐ隣には神秘的な滝。現役当時はなかなかの車窓だったのではないかと思います。(三島氏撮影)
滝のなかにはまた孔!さすがに桟橋孔ではないでしょうが…。
路盤の方はといえばしっかりした杉林。上下二段に分かれており、どちらが路盤なのかいささか迷います。目測では下段の杉は樹齢3-40年程度、上段はもう少しばかり若く見えますが、先ほどからの路盤のつながりから考えて下段を軌道跡と仮定しておきます。
<12:14>
もう一度川を渡ると久々に木々の生い茂っていない路盤に出会えました。
このカーブを曲がったらまた対岸に移りそうですね。
こちら側の路盤はなくなったけど、対岸の路盤も不明瞭だな…。
ここまで両岸を行ったり来たりして支谷をかわしてきた路盤ですが、ここでついに阻まれてしまいました。いつものように川岸へ降りて迂回しようと思ったそのとき…
ん?
孔だ!!!
支谷をまたぐ橋の橋脚孔です。ここまで橋跡は何度も見てきましたが、川幅が広かったことや堆積物が多かったことで橋脚孔は発見できていませんでした。これで、この川べりの平場が路盤だったと断言できます。
ただ、孔の位置は路盤からすこしズレていて、いささか不可解です。
孔の上部を見てみても軌道が通っていたようなスペースは見出せないのですが、まさか…ねえ?
この孔から先、明瞭な路盤跡はついに途絶えてしまいました。小坪井林鉄らしく長大桟橋を築いていたのだと考えて進むしかありません。橋脚孔は一向に見つからないのですけれど…。
あれ、いつのまにか路盤が復活してる。
上がってみるとやはりそこは路盤でした。
振り返ってみると崩れ去りつつも路盤跡がなんとなく見てとれます。どこで見落としていたのか…。
そして、この路盤を眺めていると、一度は否定したはずのある仮説が頭をよぎります。
軌道が通ってたの下段じゃなくて上段じゃね?
もう一度写真を見直してみると、今まで路盤だと思っていたところの上部に崩れかけた平場が見えるような気がします。支谷向かいの杉林でも平場は二段に分かれていましたし、実は我々、路盤らしきものにずっと騙されてきたのでは…?
路盤をキチンと辿れなかったのは悔しいですが、帰りに再調査することを誓い、先へ進みます。
あれ…?なんか先の方明るくない…?
ず、隧道だあああああああ!!!
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