戦後初めて走った電車

 2003年、沖縄都市モノレール(ゆいレール)が開業し、戦争で鉄道を失った沖縄にも鉄道が帰ってきました。しかし、ゆいレールの開業以前に一時的ではありますが沖縄に電車が帰ってきたことがあるのです。

 1975年、沖縄返還を象徴するイベントとして沖縄国際海洋博覧会、いわゆる海洋博が開催されました。これのアクセスとして沖縄自動車道の一部区間が整備されたり、那覇と会場を結ぶホバークラフト航路が開設されたりする一方で、園内交通として北ゲート〜南ゲート間を結ぶ鉄道が建設されたのです。その名はエキスポ・ニュー・シティカー。さらにこれは戦後の沖縄に戻ってきた最初の鉄道であるだけでなく、日本初の新交通システム(AGT)でもありました。

 中央のゲートから下りていくと左手に赤い建物が見えてきます。海洋文化館です。海洋博公園では唯一現役当時の姿を残す建物なのですが、観光客はみな美ら海水族館の方へ行ってしまうようで館内はひっそりとしています。海洋博開催当時の様子を知れますし、個人的にはお気に入りのスポットなのですがね…。

 この裏手あたりに北ゲート駅があったはずです。

 駐車場の土台に何か装飾が施されています。下の道は管理用の通路で一般客は立ち入れませんから装飾を施す理由は別段ないはず。となると、この駐車場部分に北ゲート駅があったのかもしれません。


 ひとまず土台の上の駐車場に行ってみますが、別の駐車場へと向かうスロープがあるほかは特筆することすらありません。まあ、ここが駅跡だという仮説が正しいとしてもかさ増しやらなんやらされているでしょうし…。

そこでスロープの下側に回ってみます。

 列状の駐車場と園内通路が並ぶ感じはまさに軌道跡を思わせますが、やはり断定できる証拠はありません。熱帯ドリームセンターの裏手にあたるこの付近には次なる駅、国際広場前が存在したはずなのですが…。

 やや左手にカーブすると意味深なロータリーを残して園内通路に吸収されます。

 と、こんなものを発見。

 消火栓の二大巨頭、茂又鐵工所製の消火栓です。消火栓には不勉強なのですが、おそらく海洋博開催時以来のシロモノでしょう。

 海洋博当時はこんなところをAGTがコトコト走っていたのでしょう。(それにしても海洋博当時はこの辺りが博覧会の中心だったとは驚きです。熱帯ドリームセンターも客がいないわけではありませんが、それでもやはり観光客は北部の水族館周辺に集中しています。)


 だらだらと歩いていると熱帯・亜熱帯都市緑化植物園に入ります。

 ここからは電気遊覧車用の道路と園内通路が並行しており、なおさら軌道跡を思わせます。

 亜熱帯都市緑化センターが近づくと道は右にそれていきますが、まさか鉄路もそうだったはずはありません。左手に入っていく小道を進んでみます。

 およそ軌道跡と思えない高低差があってヒヤリとしましたが、進んでいくと太い道が復活。

 海側から見ると築堤のようになっており、それらしさが満載です。

 ゲートのところまでやってきました。このあたりに南ゲート駅があったと考えてよいでしょう。

 ちなみにバス停の名前は「南ゲート」となっており、海洋文化館とともに海洋博の面影を残しています。


 帰り道は電気遊覧車に揺られてみます。はいさいプラザ(総合案内所)・美ら海水族館・エメラルドビーチを結ぶ系統は5-10分間隔ですが、こちらはさすがに乗客がいないと見え30分ごとの運転。今便も私しか乗っていません。

 軌道敷(推定ですが)を走り抜ける姿はニュー・シティカーそのものでした。

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